もくじ
英語と日本語でキャラが変わるのはあるある?
以前、通っている英会話のグループレッスンの話題になったトピックなのですが、ネイティブ講師からの質問。「皆、ここでの英語のトークの時と、普段の日本語のトークの時で、話し方や性格がかわってると思う?」
そこにいた数人の生徒はみな口々に「Yes!変わってると思う!」
英語で話すときと日本語で話すときの違いとは
「英語を話してる時の方がストレートにものを言ってると思う」
「日本語で会話するときみたいな遠慮が入りにくい」
「英語ではまず主語が明確だから、ストレートな表現になりやすいんじゃないか」
という意見が出ました。なるほど。
私個人も同感でした。理由は、そもそも講師がファシリテートしてくれる場なので、全員フラットな立ち位置だし、職場でやりがちな「目上の人がなにか言うまで黙っておこう」みたいな遠慮が要らないからじゃないかな、と思いました。
相手が外国人であることによるロバの耳効果
また、以前Camblyの日本在住の講師と話をしたときには、「知り合いの日本人でネイティブに話すときと日本人に話すときで全くキャラ変わるやつがいるよ。ネイティブには凄くフレンドリーなんだけど日本人にはちょっと冷たいんだ」という話を聞きました。
それは単にネイティブコンプレックスが強いとかそういうことなんじゃね?とか若干意地悪なことが頭を掠めましたが、それはさておき「日本人からこんな話を打ち明けられたことがある」という話はちらほら聞いたことがあるので、日本人の「相手が外国人だから普段なら言わないことも喋っちゃう現象」はあながち珍しい話ではないのかもな、と思いました。
どうして相手が外国人ならばストレートになれるのか
私見ですがこの現象は、「他の日本人にこんなことを言っては白い目で見られるんじゃないか」「空気を読まないやつと思われるんじゃないか」といったリミッターが、外国人の知人友人に対しては不要であると感じている日本人が少なからずいるからでははないか。だって違って当たり前だし、相手が外国人なら「お前まわりとの日本人と違うじゃないか」なんて言ってこないし。
学校でも職場でも、謙虚といえば聞こえはいいのですが、知らず知らず「空気を読む」ことをトレーニングされている私たち日本人。英語で話すということは、そうした日本人メンタリティを一時的にでも”脱いでよい”免罪符効果があるのかもしれません。少なくとも、私がグループレッスンに今でも通っているのは、その「読まなくても良いフラットな空気」が好きだから。
「違って当たり前」を、身に着けよう
英検1級の2次試験・面接でも、そうした「妙な意見を言ったら笑られる・否定されるのではないか」といった、「人と違うこと」を恐れがちな「日本人メンタリティ」を脱ぐ必要があると思います。Let’s agree that we disagree.のエントリーでも書いたように、「人と違う意見を言うこと」は否定されるべきことではありません。違ったって構わない、いや、違って当たり前、違うことが個性なのですから。
せっかく英語を使うことで言語のスイッチが変わるなら、遠慮がちな日本人メンタルのスイッチもOFFにして、なりきって自論を展開してみましょう。
そうやって少し「周囲との違いにビビらない」練習をした大人が増えるほうが、これからの世代が生きていく日本が少しでも風通しよくなるのではないか、などと考えながら、今日も英語を勉強しています。